祭神の建御名方富命は、大国主命の二番目の御子。古事記にもしるされた由緒のある神社。信濃の国一の宮・旧官幣大社の格式を持つ。農業振興の神・武運長久の神。四隅に四本の御柱がたつ。神が降臨する場所、申と寅の7年に一度御柱を立て替える御柱祭は、桓武天皇の時にも行われていたという古い伝統の行事。木落とし・川渡しなど荒ぶる神の勇壮なお祭り.拝殿の奥に幣殿げ続きいわゆる本殿はなく、ご神体は奥の山(守屋山)にある。現在の拝殿は天保二年(1831)から9年の歳月を費やして完成した建物、二代目立川四郎富昌が地元神宮寺の宮大工原五左衛門親成らと共に建立したもの。彫刻も見事 。勅願殿は元禄三年(1960)諏訪高島藩によって建てられたもの。拝殿のある本宮中心部は一段と高いところにある
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