ショップ



写真は晴ケ峰西山観光協会
のシンボルマークになって
いる「かたくりの花」です





日本に弥生式文化の中心はいくつもあったと考えられ、大和や北九州地方はそのもっとも大きいものであったが、建御名方命の生まれた出雲もまた一つの有力地であった。
 この大国主命を中心とする出雲族の勢力は日本海の海岸を東にのび、越(こし)とよばれた北陸地方を勢力範囲とし、それから東の方ヘカをのばし、そのうちの一派は姫川の渓谷をつたって奥地へ開拓をすすめ信濃に入った。こうした文化の伝播(でんぱ)は非常に永い年月を要したことであろう。その道筋などはすべて都合のよいところを通ったもので、一つの定まった筋という決めてになったものはなかったと思われる。
 また信濃へは、東・南・西といろいろの方面から入ってきた他の系統の人々もあったにちがいない。建御名方命とか諏訪明神という言葉は、個人を指すのではなくて、諏訪に入ってきた出雲族の首長のよび名である。この出雲族は、背後に奥深い山を背負った守屋山麓前宮のあたりに本拠をすえた。これが諏訪大社上社の起原である