風林火山





諏訪氏略系図

2007 大河ドラマの地『風林火山』

由布姫の里へいらっしゃい

信玄・諏訪氏ゆかりの史跡

諏訪氏は信濃の名族で、惣領家は上原城、大祝家は干沢城を拠城としました。天文八年に惣領家を継いだ諏訪頼重は、翌年、武田信虎の三女祢々を室に迎え、信玄とは義兄弟になりました。
 武田家当主となった信玄は、頼重の支配する諏訪攻略にかかります。武田軍は天文十一年六月二十四日に諏訪へ侵攻し、七月二日には筒口原(木落し下付近)まで押しよせました。諏訪勢は上川をはさんで犬射原(同社付近)に布陣しました。また、信玄と呼応して高遠頼継が杖突峠を越えて攻め入りました。頼重は上原城に火をかけて桑原城へ逃げましたがとらわれ、甲府へ送られました。後に信玄は安国寺前の宮川端で頼継を破ります。
 頼重は東光寺で自害し、ここに諏訪惣領家は滅亡しました。しかし、頼重の娘諏訪御料人は信玄の側室になり、信玄の後継者となる武田勝頼を生むのです。
 諏訪を攻略した信玄は、重臣の板垣信方を諏訪郡代に置いて諏訪を統治しました。また、上原城を改修して信濃攻略の拠点としました。上原城跡の中腹にある板垣平は、諏訪惣領家滅亡後は板垣信方の館がつくられた場所です。
 信玄は諏訪神社を手厚く保護し、軍神としての諏訪明神の加護を祈りました。信玄が軍旗とした「諏訪明神旗」はよく知られています。
 武田氏滅亡後、諏訪頼忠(頼重の従弟)が諏訪の旧領を回復します。頼忠は永明寺に葬られましたがその後廃寺となり、現在は宗湖寺が菩提所です。また、頼岳寺は初代高島藩主諏訪頼水が創建した諏訪氏の菩提所です。

諏訪家(藩祖)と諏訪御寮人、ゆかりのマップ(散策地図)

諏訪御料人マップ
マップをクリックしていただければ拡大します。

諏訪攻め。諏訪軍、武田軍

© Copyright chino miyagawa TMO. 2007.