円通山宗湖寺の由来

円通山宗湖寺は諏訪家中興の祖諏訪頼忠公(法名永明寺殿晃山宗湖大庵主)の菩提所であります。天文十一年惣領家諏訪頼重が武田氏によって滅ぼされて以来、雌伏四十年上社大祝職にあった頼忠公(頼重の従弟)は、密かに再興の機を窺って居りましたが、天正十年武田氏が天目山に滅び、織田信長も又本能寺の変に討滅されるや、いち早く兵を挙げ再び諏訪の地を旧領に復しました。しかし時勢の変遷は更に厳しく、やがて豊臣の治政となり、凡そ十年の間武州・上州と彼の地にあったのでありますが、慶長六年関ヶ原の戦功により、再び故国諏訪の地に移封となり、頼忠・頼水父子領民歓呼の裡に旧領に復帰したのであります。帰国後四年、頼忠既に齢七十一歳を閲みし、慶長十年八月二十一日その寿を全とうして卒去、永明寺(茅野市上原地籍、上原五山の一ツ)に葬られました。

上原城が由布姫生誕の地と伝えられています。

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