三輪社 ( 大神神社 )
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三輪社入り口の案内板にも示される様に祭神は、大国主命詳しくは 大物 ( おおもの ) 主 ( ぬし ) 櫛 ( くし ) 甕 ( みか ) 玉 ( たま ) 命 ( のみこと ) 、俗称大黒様をお祀りして在ります。

文献によりますと、創立の由緒不詳となって居りますが、創建は天平年間、大和国城上郡三輪村大神神社を分霊し祀る、依って三輪社と称するとあります。

以後年を経て久寿年間に「諏訪次郎孰貞の弟茅野大夫光親、居を茅野に定め依って茅野姓とする」と諏訪史料叢書に記されております。

 何れにせよ天平と云えば千二百年の昔、久寿と云えば八五〇年前よりこの地に鎮座ましまして居る事になります。

私共に馴染みの深い、木曽義仲が弱冠二十六歳で信濃に挙兵したのが治承四年と記されて居りますから逆算しますと、久寿年間は義仲生誕の頃と推測されます。

義仲挙兵は諏訪の豪族、諏訪・茅野・金刺氏等がこれに加わって居りますから、茅野氏出陣の折には、三輪社に武運を祈り戦勝を祈願をされた事であろう、想いを馳せれば、夢は愈々膨らみます。

時代は下って、徳川の政権末期文化年間に至り漸く民生も安定し、村にも氏神の社詞建立の議興り同元年三月四賀普門寺、大隈流の大工矢崎九右衛門が棟梁となり、本殿及び覆堂を築堂更に十年の間隔を置いて文政年間拝殿を建築して居ります。

話を本殿に戻しますと、本殿は間口一間一尺一寸奥行き一間四尺、覆堂は間口二間二尺奥行き二間半と記されています。

又本殿の彫刻は前述の通り、矢崎久右衛門の彫刻になるものであって、何れも三國史、十八史略、史記等中国の歴史書にもとづくもの、九右衛門会心の作のみならず、史料的美術的にも区の宝として貴重な彫り物であり観る者に深い感銘を与えてくれます。




向かって右側の彫刻は蜀の国主、劉備玄徳が敵の奸計に遭い愛馬「的盧」に乗って壇渓の激流(今の湖北省湘江の支流)を乗り切り危うく難を逃れた故事

左側面は蜀の三傑(劉備、漢羽、張飛)が桃園にて国主を夢見て兄弟の義を結ぶ図

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